Takayukiteraiの日記

近頃は透明水彩で風景を描くのが好きです。

きょうときょうと!!

今週末はとうとう京都へ行く。行くことが決まってから度々、脳内音楽で在日ファンクの京都の曲がかかっていた。京都へさ~行こうおってさー。元来が出不精の私で、はじめは乗り気じゃなかった。しかし末弟の家族にも会いたいし、うちのかわいい娘も会わせたいし、新婚旅行も行ってないし、言い出せば理由は沢山あるのだけど家人のたっての希望もあって旅行を決行いたすことになり申した。 私は六波羅蜜寺空也上人像と、帰りに万博公園太陽の塔を拝めればほとんどいうことなしです。 弟と酒を飲むのでしょうがそれも大事なミッションです。店選びから何からも感を働かせていこうと思います。なるべくググらない方向で。

mother

母。

我が娘の母。

私の妻。

我が母。

姑。

 

反りがあわないのは私のせいか?

 

反りがあわないという言葉では、足りない。

 

解決策はあるのだろうか。

 

世の男性達のように聞き流すのが得策であろうか。

なぜ争う種を探して植え付けるのか。

 

私も一緒になって怒り狂えばいいのか。

 

そんなことは私はしない。

 

感情を制御できる人類であるからして。

 

 

Maybe

自分と他の誰かを比べて劣等感を感じてきた。

その度に、感情に向き合って自己解決を図ろうとしたが、いまいちうまくいかなかった。

うまくいかないのは信念や根性、性根が腐っていると思い、うさを晴らしに酒を飲みに出ては知らぬ他人と笑い合い、いい夜を過ごした気になっていた。

全てが無駄だとか、出会った人たちと過ごした夜が全て慰めの為だけの嘘だとは言わない。

しかしそういった楽しさが甘えにつながっていた。

バーをやっているのに絵のことを悩んでいた僕に、親父と慕うマスターはいった。

 

「お前はバーテンダーだろう。アーティストじゃないんだぞ。」

 

今の僕にはこう聞こえる。

 

「お前はもうバーテンダーじゃないんだぞ。今の仕事にもっと真剣に取り組め!」

 

ZENSIN

 全身全霊という言葉があるが、現在のわたしはやや半身での取り組みが多いように思う。

では、以前はどうだったのかというとこれもまた、全身全霊とは言いにくい。

 やる気の問題?気がそぞろで集中ができない?いろいろ考えて、他人の目を気にしすぎなのだと思った。もういい加減自分の人生を生きよう。今までだってそうしてきたのに何故だかそうじゃない気がするのは、人の目をたびたび気にしていたからだ。もう気にしない。胸を張って頑張ろう。愚直に柔かに。

 

全身全霊とはきっと力が抜けていてそれでいてまっすぐなことだと思う。

全身全霊の本当の意味を調べたりはしない。

ライラックがどんな花なのか知らなくても、友達と2人で真冬にコートを着込んで、雪の中を笑いながら歩いていた。

ドブネズミみたいに美しくなりたかった。

クイーンとツェッペリンが入ったテープは誰がくれたんだっけ。

ランシドのCDかえしたっけか?

昔のことを思い出すと、あの頃今の自分みたいな大人を馬鹿にしてたなと思う。

KINEN KINSHI

禁煙なんぞとうにやめたのです。

そうしてこのような時間に、近くのコンビニへと、さも興が乗って夜の散歩でもする如く、だがしっっかりとした足取りで、ニコチンを買いに出かけた。

街は静かで、幹線道路を走る車だけが、時折獣のように通り過ぎる。

 

ジッポの冷たい音、吸い込む苦い味がほどほどに郷愁をさそう。

ニコチンが満たされただけ。

 

ひと月前、親会社の上役の「いいから吸え!」の一言で禁煙は終わり、しかし以前のキツいタバコを吸わないように様々な種類を試している。

 

身重の妻のためにも、この悪習をやめたいな。でも美味しいな。と、吸っている。

GETUYOUBI

アラーム設定した気だるいラップミュージック

窓の外は雨

始業前には止むだろう。

道具を鞄にいいだけ詰めたら、重くて腕が朝からだるい。

コーヒーを二杯飲みタンパク質を取った方がいいのになーと思います。

TOSHISYUN

先日、人間椅子杜子春という楽曲を聞いた。というか某TUBEで見た。

プログレッシブなロックやヘヴィメタルなどの技巧的なロックに苦手意識があったのだけど、近頃の私は不満が多いせいなのかそう言ったロックが良くなってきた。

 

そんなことは余談なのだ。

 

杜子春である。

 

芥川龍のやつ。

 

さっと読んだ。

 

遠い昔、ランドセルだったころ、発表会でやったが私は家来11だった気がする。

 

kindleにて読んでストーリーを今理解した。

あの頃は全くと言っていいほどわかってなかったわ。

 

ここ数年活字が読めない、入ってこない状態であったので、すいすい読める古典、昔話のような語り口がやさしく、それでいて伝えんとすることの濃さ。

濃縮還元といった感じ。

 

峨眉山の岩上にて座ったままの私にはまだ大切なものがわかっていない。

でも気付いている。今のままではいけない。他人のせいにしてはならない。

自分の人生を切り開くのは、自らの手、行動でしかないと。

 

鉄冠子のような仙人に見いだされなくとも、まわりで大切なことを教えてくれている。

そんな言葉に心を開き、聞く耳を持つことってむつかしい。

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芥川龍之介(拾ってきた)